ぐにゃぐにゃ日本
- Taro Koyama
- 7月19日
- 読了時間: 1分

今日、近所のスーパーマーケットで、ひとりの高齢男性が自動精算機の前で戸惑っていた。その姿を見て、胸が締めつけられた。日本の「ねじれ」が、そこに集約されていた。
かつてこの国は、義理と人情と、助け合いによって成立していたはずだ。
だが今は、アメリカナイズされたショッピングモールが街を占拠し、利便性と効率の名のもとに、人の温度が削ぎ落とされている。
戦後、目の前の人を思う気持ちから生まれたはずの「問屋」や「ディーラー」は、いつしか利権の巣窟となり、守るべきは愛ではなく、システムそのものになってしまった。いわゆる「〇〇業界」という世界は、例外なくその罠に落ちている。
根底にあったはずの“愛”は、もはや制度に潰される時代だ。
個人に愛があっても、組織になると、その声は届かない。
愛が通用しない社会──それが、今の日本の姿だ。
沈みゆく日本という船の上で、我々にできることは何か。
歴史的に見ても外圧でもなければ、変わらないこの国において。
たぶん、一つの方法が、自分が本当に好きなことをやること。
惰性ではなく、保身でもなく、キャリアやスキルではなく、「それをしていると心が震える」何かに向かうこと。
では、それは自分にとって──なんなのだろうか?
次回に続く???
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