日本を感じる日本人
- Taro Koyama
- 3月23日
- 読了時間: 3分
最近、茶道を始めた。
理由はシンプルで、「日本の美がそこに詰まってる」と思ったから。
実際、体験してみたら、やっぱりそうだった。

日本人って、やたら明るくて白飛びした写真が好きだよなぁと思う。
あれ、なんでなんだろうって考えてたら、「高度経済成長期に“家の中は明るい方がいい”ってマーケティング、いや、むしろ洗脳があったんじゃないか」って説が、僕のまわりでは有力だ。
ヨーロッパなんか行くと、間接照明が主流で、写真も音も暗めのトーンが好まれる。
その点、日本は本来「陰影礼賛」の国だ。
光と影の間に美しさを見出していたはずなんだよね。
僕自身、明るくて白飛びしてる写真って昔からあんまり好きじゃなかった。
でも「なぜだろう?」って考えていたときに、あのナショナルの明るいCMソングを脳内再生して、ああ、これか、と腑に落ちた。
若い頃は、とにかく海外に憧れてた。
アメリカのポップなカルチャー、横ノリの空気感に惹かれてたし、イタリア料理を毎日作って、自分もどこかイタリア人になったつもりでいた。
でも、10代の頃、実際行ったのはせいぜいオーストラリアくらいで、あそこはあそこですごく好きだけど、国としては若くて、まだカルチャーの“深み”はそこまでない。
もちろんサーフカルチャーとかビーチカルチャーは発展してるけどね。
何が言いたいかというと――
京都に行くと、「あ、日本に来たな」って思える。
僕の住んでる町では、日本を感じることってあんまりない。むしろ“アメリカ崩れ”みたいな、どこにでもある地方都市って感じだ。
でも京都には、日本がある。
「日本、かっこいいなぁ」って、素直に思えた。
自分の国の文化を知ることって、結局は“世界を知ること”にもつながってる。
日本の達人になるってことは、グローバルに近づくことなのかもしれないな。
海外のカルチャーを真似しても、それはやっぱり“真似”でしかない。
でも、日本人の僕らが、日本の文化を身につけたとき、それは“本物”になる。
先日、外国人留学生が着物を着てお茶を体験する、というイベントの撮影をさせてもらった。


これがまた、すごく良かった。
みんなでお茶をいただきながら、それぞれの国の飲み物について話し出す。
まるで多国籍ティーパーティー。
モンゴルの学生が、「うちのチャイは塩が入ってるよ」なんて話してくれて、なんか嬉しかった。



この会には、友人のシャルルさんも来てくれた。
彼はもともと日本文化が好きで日本に住んでる人だから、着物を着てお茶を体験するなんて彼のためのようなイベント。
とても喜んでもらえた。
次回のお稽古には、彼も誘おうと思ってる。

こうしていろんな経験を重ねるうちに、僕は物事を俯瞰で見る癖がついてきた。
だから、あんまり「嫌なこと」がなくなった。
人には人の考えがあり、目的があり、目指す場所がある。
それって結局、遺伝子レベルの話なんじゃないかな、と最近思ってる。
…ってことで、次回はその「遺伝子」の話でも書いてみようと思う。
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