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日本を感じる日本人

最近、茶道を始めた。

理由はシンプルで、「日本の美がそこに詰まってる」と思ったから。

実際、体験してみたら、やっぱりそうだった。


お稽古のついでに撮影するという仕事もいただいている。
お稽古のついでに撮影するという仕事もいただいている。

日本人って、やたら明るくて白飛びした写真が好きだよなぁと思う。

あれ、なんでなんだろうって考えてたら、「高度経済成長期に“家の中は明るい方がいい”ってマーケティング、いや、むしろ洗脳があったんじゃないか」って説が、僕のまわりでは有力だ。

ヨーロッパなんか行くと、間接照明が主流で、写真も音も暗めのトーンが好まれる。

その点、日本は本来「陰影礼賛」の国だ。

光と影の間に美しさを見出していたはずなんだよね。


僕自身、明るくて白飛びしてる写真って昔からあんまり好きじゃなかった。

でも「なぜだろう?」って考えていたときに、あのナショナルの明るいCMソングを脳内再生して、ああ、これか、と腑に落ちた。


若い頃は、とにかく海外に憧れてた。

アメリカのポップなカルチャー、横ノリの空気感に惹かれてたし、イタリア料理を毎日作って、自分もどこかイタリア人になったつもりでいた。

でも、10代の頃、実際行ったのはせいぜいオーストラリアくらいで、あそこはあそこですごく好きだけど、国としては若くて、まだカルチャーの“深み”はそこまでない。

もちろんサーフカルチャーとかビーチカルチャーは発展してるけどね。


何が言いたいかというと――

京都に行くと、「あ、日本に来たな」って思える。

僕の住んでる町では、日本を感じることってあんまりない。むしろ“アメリカ崩れ”みたいな、どこにでもある地方都市って感じだ。

でも京都には、日本がある。

「日本、かっこいいなぁ」って、素直に思えた。


自分の国の文化を知ることって、結局は“世界を知ること”にもつながってる。

日本の達人になるってことは、グローバルに近づくことなのかもしれないな。

海外のカルチャーを真似しても、それはやっぱり“真似”でしかない。

でも、日本人の僕らが、日本の文化を身につけたとき、それは“本物”になる。


先日、外国人留学生が着物を着てお茶を体験する、というイベントの撮影をさせてもらった。






これがまた、すごく良かった。

みんなでお茶をいただきながら、それぞれの国の飲み物について話し出す。

まるで多国籍ティーパーティー。

モンゴルの学生が、「うちのチャイは塩が入ってるよ」なんて話してくれて、なんか嬉しかった。




この会には、友人のシャルルさんも来てくれた。

彼はもともと日本文化が好きで日本に住んでる人だから、着物を着てお茶を体験するなんて彼のためのようなイベント。

とても喜んでもらえた。

次回のお稽古には、彼も誘おうと思ってる。




こうしていろんな経験を重ねるうちに、僕は物事を俯瞰で見る癖がついてきた。

だから、あんまり「嫌なこと」がなくなった。

人には人の考えがあり、目的があり、目指す場所がある。

それって結局、遺伝子レベルの話なんじゃないかな、と最近思ってる。


…ってことで、次回はその「遺伝子」の話でも書いてみようと思う。

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