top of page
執筆者の写真Taro Koyama

魂の記憶のその先に

そのカップルには偶然出会った。





そもそも出会いとは偶然であるが、その偶然を意識しやすい物語的な出会いというものが存在する。


それを人は勝手に運命と認識する。


私は感謝は「する」ものではなく「感じる」ものだと言っている。

そして、それは感動の中にあると思っている。

どちらの漢字にも「感」が入っている。

それらはエモーショナルなことなのである。

感謝しなさい!と指示されてもそれはできないことなのである。


感謝はおそらく、様々な経験や体験にある、受ける、与えるという行動から、オキシトシン、セロトニンなどのホルモンを分泌し感じることなのである。


そして、それが強烈に湧き上がる時、腹の底からグッとくるとき、それは魂の記憶なのではないかとも思っている…。





2019年5月29日

とあるトークライブで我々は偶然出会った。

たまたま席は隣同士、逆隣の人とも仲良くなった。

この偶然の出会いからは湧き起こる何かを感じた。

この時から私の人生で今まで使ってなかった力が動き出したような感覚がある。

見えない何かが。



2023年秋

彼らが帰国し、たまたま新潟にいた。

また、街で偶然出会い、彼らが帰国する前夜にもまた偶然街で会った。

偶然の頻度が高くなると、引きが強いだの、運命的だの理由をつけたくなる。

この偶然には久しぶりにグッと来るものがあった。

この感覚の先を見てみたくなってきた。


そろそろ旅にでもいくか。



閲覧数:34回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ความคิดเห็น


bottom of page